土曜日〜木曜日

全ては、しがない童貞男が見た夢の中の出来事だったのでした。

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暇潰しのマッチングアプリで出会った女の子と、もう一度会うことになった。

小田急線の某駅で、最近テレビで取り上げられたらしいオムライスを食べた後、近くの居酒屋に入った。そこのお酒が結構濃くて、僕はだいぶ酔っていた。彼女はお酒が強くて、全然平気と言いながら、「一本だけ」と吸い始めたタバコをもう三本も吸っていた。僕はタバコが大の苦手だけれど、彼女と話していると何となく安心できる感じが心地良くて、そんなことは全然気にならなかった。

近くの席に座っていた、その店の常連客というパンチパーマのおじさんが絡んできた。

「二人はまだ付き合ってないのか。にいちゃん、今日はヤれるかヤれないかだぞ、分かってるな。応援してるぞ」

余計なお世話だよ、と思いながらも、僕はカルピスを、彼女はお酒を奢られてしまった。

「よし、カラオケ行くぞ」

と強引にパンチパーマに連れられて、斜め向かいの(そこも常連らしい)スナックへ。数曲歌って、終電にぎりぎり間に合うように退店。そしたら、急に彼女の足元がおぼつかない。後で聞いたら、スナックでデンモク中森明菜を入れた直後から記憶が無いらしい。

真っ逆さまに堕ちてdesire

この後起こる出来事の何たる皮肉か……。

 

ふらふら歩く彼女の肩を抱いて早足で駅に向かい、なんとか終電に乗った。夜風に当たって僕はもうすっかり素面のつもりになっていた。つもりになっていただけだった。

このままそれぞれ家に帰ろう、そう思っていた。なのに、僕は彼女の乗り換え駅で途中下車して、終電を逃した。心配半分、下心半分だった。

だけど彼女は結局乗り換えないで、その駅で改札を出た。朝までやってるお店があるからそこで飲み直そう、と言われた。要するに、彼女は僕とヤりたくなかった。僕もパンチパーマの思う壺になるのは嫌だったし、「そうしよう」と答えて、とりあえずコンビニで水を買って彼女に飲ませた。

彼女はずっとふらふらだった。僕は彼女の肩を抱いたまま、道は彼女に任せて街を歩いた。彼女は目的の店を見つけられなくて、そのうち自宅に向かって歩き出した。少し遠いけど歩ける距離だった。

歩きながら彼女は眠い眠いと言うので、僕は「家に着いたら変なことしないですぐに寝よう」と言った。本心だった。僕は、今僕の腕の中にいるこの人を大事にしたいと思っていた。それに、泥酔している女性と寝るのはレイプだと、聞いたことがあった。

だから、彼女の家に着いて、僕はベッドに行かずソファーに横になって、おやすみ、と言った。お互い離れて横になったまま、少し話した。彼女は仕事のプレッシャーで悩んでいるようなことを虚ろな口調で話していた。それが健気でいじらしかった。彼女は脈絡無く、「そっちは寒いから、こっちに来なよ」と自分の布団を捲った。毛布を被っていたから正直全然寒くなかったけど、僕は誘いに乗った。

僕が彼女の布団に入ると、彼女はじっと動かなくなった。ずるいよ、と思いながら、僕は彼女を抱きしめてキスをした。初めてのキスがディープキスになるとは思わなかった。

彼女は生理中だったから、最後まではしなかった。彼女は謝ったけど、僕はそれで良かったと思った。やっぱり彼女を大事にしたい気持ちがあったし、そんなことしなくても寄り添っているだけで十分に幸せだった。朝になると、雨の音が聞こえた。それが部屋の中と外のコントラストを引き立てて、僕は今世界で一番幸せだと思えた。

彼女はその日午前中に仕事があったから、僕は一度帰宅して、昼過ぎにまた彼女の部屋に戻った。僕がインスタントラーメンを食べている間に彼女はシャワーを浴びていた。その後すぐに布団に潜った。服は脱がなかった。僕は、布団の中で、まだほんの数回会っただけの彼女に、告白した。正直自分の気持ちはよく分からなかったし、昨晩のことでのぼせているだけかもしれないと思ったけれど、とにかくこの幸せを繋ぎとめていたかった。彼女は、考える、と答えた。

諦めきれない童貞男は、何について考えるのかしつこく問うた。彼女は言い渋ったけれど、要するに自分の不貞な性格について悩んでいるということだった。僕はそんなこと気にならないと言った。その不貞の原因である寂しさから、僕が彼女を救ってあげられると思った。

思い上がりだった。今になって考えれば、単に僕のことが大して好きじゃないということを言わずに、自分のせいだと言う、彼女の優しさだった。とことん僕は馬鹿だった。とことん彼女は良い人だった。

帰りしな、彼女が押入れから昔のアルバムや、プリクラ(!)が山ほど入った筆箱とかを引っ張り出して、色々と思い出話をしてくれた。なんでそんなことをしてくれたのかは分からない。特に理由は無いかもしれないし、もしかしたら僕を落ち込ませたまま帰らせないようにしてくれたのかもしれなかった。いずれにしても僕は、彼女が過去のことも含めて自分をさらけ出してくれたことが、堪らなく嬉しかった。

その後LINEで、ニックネームじゃなくて下の名前で呼んで欲しいと言われた。それから数日、恋人ごっこのようなやり取りをしていた。彼女が、大して好きではない僕のことを、頑張って好きになろうとしてくれているのは明らかだった。惨めだったけど、嬉しかった。

「このまま付き合えるかもしれない!」とにやついたり、「やっぱり無理かもしれない」と落ち込んだり、忙しかった。タバコとシャンプーの混ざった香りがずっと鼻の奥に纏わりついて、全然仕事に集中できなかった。告白したときは曖昧だった感情が、どんどん確信に変わっていった。

仕事終わり、恋人ごっこで電話をしていると、彼女がこれから仕事で僕の最寄りの隣駅まで立ち寄ると言う。もうじき雨が降る予報だと伝えた。傘は嫌いだから持たないと言う。案の定雨が降り始めた。僕は彼女が雨に濡れたら嫌だと思った。恋人でもないのにそんな心配をするのは、きっと余計でお節介な感情だった。だけど僕は傘を二つ持って、隣駅に出向いた。彼女は既に仕事先で傘を借りていた。完全な空回りだった。

コンビニでお酒でも買おうと言ったけれど見当たらなくて、結局自販機でコーヒーとジュースを買って、高架下で二人で飲んだ。彼女は地べたが好きだと言って、コンクリートにあぐらをかいて、ブラックの缶コーヒーを飲みながらタバコの煙を深く吸い込んでいた。かっこよかった。僕はコンクリートの冷たさを嫌って、柵に腰掛けてジュースを飲んでいた。ダサくて惨めだった。

前に彼女がアルバムをめくったりしながら彼女の友達のことを教えてくれたから、今度は僕が、と思って、スマートフォンアー写を見せながらバンドメンバーのことを紹介した。彼女は全然興味が無さそうだった。

帰ってから、やっぱり好きになれそうにない、という旨のLINEが来た。外では雨の音がしていた。僕は、これから、雨の音を聞く度、メンソール入りのタバコの匂いを嗅ぐ度、彼女のことを思い出して辛くなるんだなとぼんやり思った。

WeezerのUndone (the Sweater Song)という曲があって、僕はその曲が世界で一番好きだ。

 

もし君が僕のセーターをめちゃくちゃにしたいのなら

君はただこの糸を握っていて

僕が歩いて離れて行くから

 

僕は彼女にセーターの糸を握らせて、自ら歩いて離れていこうとした。つまり、もう会わない方が良いということを伝えた。

そしたらなんと、彼女は糸を握ったまま僕を追いかけてきた。いなくならないで欲しい、友達になりたい、と言った。

想定外だった。Weezerは絶対に正しいと思っていた。特に青盤は。

僕は思い出した。あの夜、布団の中で抱き合いながら、彼女は自分の過去の不貞を告白して泣いていた。そして、皆すぐにいなくなるけど、君はいなくならないでねと泣いていた。僕は、いなくならないと約束した。

 

彼女は僕のことを好きになろうと努力してくれた。今度は僕が、友達になろうと努力する番だと思った。

僕は、やっぱり彼女をニックネームで呼ぶことにした。

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これは全部夢の中の出来事だけれど、目が覚めたら大切な友達がひとり、できていました。

そういうわけで、僕はまだまだ童貞を捨てられそうにないです。