日曜日

金魚が死んだ。

同居人が用事に出掛ける直前に死んでしまっていたけれど、化粧が崩れると良くないから、言わずに帰りを待った。その間、何回見てもやっぱりエラを動かさずに横たわっているだけだし、少しずつ臭いが強くなっていった。それで毎回「ああ、確かに死んでいるんだ」と思ったけれど、なぜかあまり実感は湧かなかった。

夕方に同居人が帰ったので駅まで迎えに行き、駅前のスーパーの文具コーナーで、金魚に似合う可愛い和柄の折り紙を買って家に帰った。それで小さな箱を折って棺にした。彼女は箱本体を、僕は蓋を作った。

ティッシュペーパーを丁寧に折って箱に敷き、金魚を横たえた。折り紙の箱にちょうどぴったり収まる、まだ小さな幼い金魚だった。その上にまた丁寧に折ったティッシュペーパーを被せて、蓋をし、手を合わせて目を閉じた。

しばらく言葉が出なかった。色々なことを思い返して、その内、この金魚との最初の出会いまで記憶を遡った。そこでふと思った。

そうだ、大丈夫じゃないか。またデパートの屋上の金魚屋さんに行って、生け簀の上で人差し指を振れば、きっとまたこの子が「僕を連れて帰ってよ!」とスイスイ寄ってきてくれる。そしたら、「久しぶりだね!この前は病気を治せずにごめんね」と言って、同じように買って帰れば良いんだ。

それが、絶対に叶わぬ妄想だとすぐに気が付いてしまい、途端に死の実感が湧いて、涙が止まらなくなった。どうしようもないくらい止まらなくなった。たった2週間しか一緒に居られなかった。はたから見ればたかが金魚、たかが2週間、かもしれないが、僕たちには思い出がたくさんあった。

本やネットで調べながら探り探り世話をしたから、その中で金魚に負担をかけてしまったかもしれないと後悔した。もっと早く病気に気が付けていたら、もっと別の薬を使っていたら。うちに来なければ、もっと長生きできたのかもしれない。自分を責めながら、ひとしきり泣いた。

このままずっと泣いていても仕方ないと思い、金魚の世話の道具を片付け始めた。つい数日前までここで元気いっぱいに愛想を振り撒いていたレトロな花柄の大きなガラスボウルを綺麗に洗って、いつもの場所に置いて、真ん中に折り紙の棺をちょこんと置いた。そうしたら、あの子が居るみたいに感じられるかなと思ったのだけれど、全然違かった。棺は手に持つと、何も入っていないみたいに軽かった。

今は、公園に埋めたりするのはマナー違反ということらしい。次の燃えるゴミの日まで、こうしておくことにした。

 

たつろう、どうか天国でも元気に泳ぎ回って、美味しいご飯をたくさん食べられますように。楽しい時間をたくさんありがとう。